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Author:sexykent
オイルショック+ベビーブーム世代の元デザイナー。芸術や音楽に早くから目覚めたが、才能を伸ばすほど追求せず。いいかげん我とアートの関係を問いただしたくなった矢先、一切のデザイン生命を絶ちきる。そして今、仕事と生き甲斐をリセットして歩んでいる。最近はNike + iPod Sport Kit を利用して体力作りナンゾを画策中。
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| 「プロポーズされたけどどう答えたらいい?」と相談された時の答え方 |
オッサンになると耳くそも溜まりやすいsexykentです(・_・) 綿棒携帯しないといかんぜよ…
女性から、「プロポーズされたけどどう答えたらいい?」と相談を受けた場合、噺家志望の俺ならこう答えることにしている。
それはねぇ、ここσ(・_・)(と、頭を指す)で答えちゃダメだぜ。 ノー(脳)になっちまうからな(ニヤリ) ここで(と、胸を刺す)で答えるんだ。 ハイ(肺)になるからな(ニヤリ) おっと、お腹(と、腹を指す)で答えちゃ、 いかんぞう(胃・肝臓)、 お尻も気をつけな? へぇ(屁) になっちまうよ?
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| 日本語ロックの棲み分け |
今日一日やっていた「刷り込み」なんていう作業がMacを占有し、時間を奪っていることで、ぼんやりして過ごしたsexykentです(・_・) まぁ、ぼんやりというか、機械に振り回されてコツコツと時間が過ぎていくんです。
ここ最近、俺が聴いている音楽は、80年代を遡り、70年代の音楽だ。どうやら、俺の波長の原典はソコにあるようで、その時代に生まれたからなのか、リズムだとか音質だとか、落ち着いて聞こえるので、凄く眠くなる。睡眠導入にさえなってしまうということは、何だか自分自身が曲を作って歌っているような感覚なんだと思う。それだけ、吸って入ってくる。これが80年代サウンドだと、いちいち理屈で解釈が必要になってしまう。
iTunes StoreからiPod touch経由で購入。だから、曲以外の情報はあまりない。本とはジャケットだとか、濃いところを目で見ながら聞くのがいいのだろうが、耳から聞こえるものだけが全てというのも悪くない。特に新譜でなければ、旧符や楽曲に対するコメントはWebであされるからね。でも、あされると言うことは色んな意見に惑わされることにもなる。ヘッドフォンやスピーカーから流れるのが全てというのは、情報の少ない時代の聴き方をシュミレーションしてるようだ。
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| タブーな言葉 |
キムチと、ケロッグのオールブランに、飲むヨーグルト(ブルーベリー)を摂取したところ、もうオナラがすごいことになってるsexykentです (・_・) 繊維ってスゴいね!
差別用語というのがある。確かにね、そう思うのも中にはあるけど…例えば「バカ○ョンカメラ」誰が最初に使ったのか分からないが、スゴい浸透しているよね。ある一定年齢以上のオッサンオバサンは、未だに使ってるよ。拉致問題解決には、こういう民族間の意識からどうにかしなくちゃならんと思う。
あと、正式名称じゃないけど広まった系もあるね。ボケ老人は「認知症」とか言うんだよね?知恵オクレとかも「自閉症」など、症状により色々ある。つまりこれは、医学的観点から正式に病気と認められるまでに、見たまんまに呼ばれたのが通称になったケースだ。これも、健常者側の軽蔑が込められた言い方だったわけだが、逆に分かりやすいという皮肉な言葉である。通称と正式名称があると、頭の中で使い分けしている自分に気づく。正式名称しか知らなければいいのに、実はセットで知っている。赤ちゃん言葉の延長みたいなもので、ブーブーは車、マンマはご飯みたいな…実はそんな細かい日常の教育に根元があって、最初から正式名称で覚えれば、蔑視などしないはずだと思う。
俗語ってのもやっかいだね。チン○ン・ち○こ・ち○ぽ・ち○ぽこ・ぽこ○ん…正直、日本人の大半は「男性生殖器」等とは言わない。言わないから、これは生殖のための器(うつわ)という意識が低い。低いから低俗な発想で弄ぶことになる。同様に、女性器も、ま○こ、べっ○ょ、お○こ等呼ばれ、単なる興味対象になっている。セックスにしても外来語だし、しかも軽く「エッチ」という言葉で濁す秘め事なニュアンスになり、性行為・性交渉とかいう正式な言い方であれば全然いやらしくもないわけで。
正式な言い方と言うのは概して堅いイメージだが、実はモノの本質を理解するのに必要なのだと思う。つまり、正確な知識がないと、理解するということに至らないのだと思う。確かに、
ちん○んぷ〜らぷら♪
なんて言うのを正式名称だからと頑張って、
男性生殖器が前後左右に振幅♪
とは言わない。つうか言えない。つまり下ネタが減るわけだ。日本人が…現代社会が下品で低俗なのは、言葉が悪いからなんだと気づかされる。
乳房は、おっぱいと呼ばれ、ボインだの巨乳だの…そのサイズに注目し、単なるオンナに付いているパーツ的な感覚にさえなっている。
まぁしかし、いくら騒いでも、正式名称だけの記憶にすることなど、もはや無理だ。俺だって頭の中は俗称で文章を作り、その表面的な意味で妄想しちまう。出来ることは、なるべく意識して正式名で口から音声で発音するこった。
それにしても、解せないのは「サンボ」という童話のたどった運命である。そう、ちび黒サンボのあの話だ。
チビもダメ、黒も黒人蔑視につながり…残ったのは名前だけ。最近じゃ主人公も、地域詳細不明になってるそうじゃありませんか!つまり、ジャングル近くに住む、黒人の坊やじゃなくなってるんだとか。でもね、それもまた蔑視な気がするんだよね。
子供は小さいに決まっていて、黒人は肌が黒いのは当然である。だからその様子を表現するのは普通なことだ。普通とは違う状態を指摘するような、「チビデブ」だとか、明らかに見下した「バカ○ョン」等とは全く違うのだ。
普通の基準?そりゃ人としてなので、あえて言うまい…モラルと良心は誰にでもあるが、環境や教育や知識で、違った感覚を持つ人もいる。だからこそ、日本人という感覚じゃなく、
地球人=人間
という感覚が必要なんだと思うね。あー…俺って大人…
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| パクリの必然性 |
あー二階が「ギシギシギシ…」と、またもやアレとおぼしき振動が伝わってくる…またもやご近所トラブル発生間近のsexykentです (・_・) 大体おかしいんだよな、同じ人は俺の隣の部屋も借りており、しかも生活感ゼロでたまにいるぐらい、朝方に家族が車で来る…ほんとの家族かどうかもわからん…
さて、夢も時間も裏切った事件、松本零士と槇原敬之…パクったの真似したの謝罪しろだの裁判だの…
夢は時間を裏切らない 時間も決して夢を裏切らない by 槇原
時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない by 松本
時間の点からすれば、松本零士の方が先だ。そして、「どこか記憶に残っていたものを使ったのかも」とする槇原だから、影響力はなかったとは言いきれない。真似をしたつもりは本人にはないくらい記憶の中の言葉だったら、「あー聞いた言葉だったんですね、松本先生ゴメンナサイ」で済む問題だったと思う。当の松本も、その言葉は自分が最初に使った表現だよと槇原に言いたかっただけで、「パクリどうのの裁判」にするつもりもなかったと思う。でも、「これをパクリッつーンなら『銀河鉄道』は立派なパクリだろうがい」と事務所が逆上して反論したから面倒な事に。そんなこと突っ込まなくたって、大抵の人は知っとる。
で、言葉を並べると似ているから、突っ込まれたら、後からの方が「真似をした」と言われるのも、流れで頷ける。まるっきりじゃないけど、文字を入れ替えた風には見える。もちろん、意味あいは微妙に違うわけだが、選んでいる言葉がソックリなのは確かだ。
さて、これが、良いか悪いか?
外国じゃぁ、何でも言葉を商標化して独占しようとする傾向が強い。俺が時折(つーかいつも)話題に出すiPhoneだって、そんな問題が出ている。そうなると、「i(アイ)〜」と名付ける事自体が便乗であり、乗っかりであり、パクリなんぢゃないのかって思う。でも、これは既に社会浸透された表現となり、「インターネットと融合する」「トランスルーセントでおしゃれな」「Appleのデザインセンスにあやかった」と自らをグループ化する行為で、差別化とは違ったものなんだよね。
" A Time Comes When Silence is Betrayal"
と言う言葉を、キング牧師は語ったそうだ。1967年の事。これは、「静けさが訪れる時、それは裏切りだ」という直訳になるね。でも、言い方は違うが、これは聖書の中で言っている言葉を言い替えてるに過ぎない。「人々が『平和だ安全だ』といっているその時に、突然の滅びが…臨む」。キリスト教圏であれば、「あーあの言葉を分かりやすく言い替えて…」と連想する人も多いと思うんだが、もはや戦争に安堵できない気持ちとしての名言となっている。
つまり、世の中はおかしなもので、「思想は同じなんだけど別の言い方」は受け入れられ、「思想は別なんだけど同じ言い方」は敵意がむき出しになる。つまり、表現が似ている、表面が似ている事はとても問題になり、メンタルが似ている事はグループ意識を持って、共感してしまう。そんな、天の邪鬼な生き物の集団なのだ。
俺が小学校4年の時、「詩を書きましょう」なんていう国語の授業と、詩を書く課題(宿題)が出された。みんなナカナカ書いてこない。書いてきたら、黒板の前で自分で読んで発表するなんていうおまけつきだった。で、忘れてきた人は「次の授業では必ず」みたいになって、順繰り「あと何人!」みたいなかんじで、どんどんその残りは少なくなり、最後には「どうしても書けない…」と悩む女の子が一人残った。
まぁ、この女の子は丁度風邪をひいていて「詩の宿題」が出された日には学校を休んでおり、その次の日に学校に来たというワケアリではある。事情がある先生もそれを知っていたわけで、宿題の提出期限をその子のために遅らせた経緯もある。「だからみんなと同じように書いてこよう」というわけだ。しかし、その子は書いてこなかった。最後の一人になるまで書いてこなかった。で、残り一人のその子が書いてくる間、数日間あった。で、「先生できました」っていうので、国語の時間ではないが「じゃぁ○○さんが詩を書いたのでみんなで聞きましょう」ということになった。
タイトル…しんぞう「…うごいてるぞ…うごいてるぞ」…って
えーっ (゚〇゚;)
って、一つ前の学年の時の教科書に載ってる詩を写したのダ (-_-;) てか、その教科書の詩は何処かの方言が使われており「…うごいてるぞ」というのが「…うごいちょうぞ」となっているのがオリジナル。まぁ、全体的に方言の詩なんだけど、この女の子は、
標準語に翻訳
それだけで「できました」と言ってのけたのである。当然、利発で聡明なお坊ちゃんである俺は騒ぎ立てた。そしたら、先生が「しっ (-_-メ)」と俺をたしなめた。で、それでも読み終える女の子、先生が「はい、拍手ッ」とかいうもんだから、もっと不信感で俺は騒ぎ立てたさ (#`ε´#)
ありえないっつーのーっ by まきのつくし
ちなみみこの女の子ノあだ名は「イノキ」だった。詳しくは語るまい…
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| シュルレアリスム |
めっちゃ寒くなった日曜の夕方…お部屋の片付けをどうしようか悩んだ末にまだ放置状態のsexykentです (・_・) うううぅ(*´Д`)=з
日本語でたまに「おっシュールだね」とか言うけど、おしゃれでキザで斜に構えた感じが漂う。それもそうで、日本人が使う場合「極端だけど言い得てる」的なアーティスティックな皮肉な様子を指す場合が多い。極端すぎない非現実というか、外れこそストライクみたいな。まぁ、日本人の一部が好むおしゃれ感覚を、芸術と混同視させる便利な言葉だと思う。何故こんな風なジャンルを取り立てているかって、そこに誤解があるからだ。
シュール=シュールレアリズム=シュール+リアリズム
という勝手な解釈によって、現実をシュールに見る、いわゆるシュール、という発想だ。しかし、そもそもは英語じゃないので、こんな図式は成り立たない。本来はフランス語で、シュルレイユ(超現実)、それに「〜派」みたいな意味合いのイズムということだ。
これは芸術作品の分類によるもので、例えば他に、写実主義とか印象派などの絵画がある。まぁ、日本語の字のごとく、写実主義はいわゆるリアリズムで、情景をいかに美しくリアルに再現するかという方向性を持つ芸術で、印象派は形や光や色といった、目から入る情報を増幅し、誇張し、イメージを膨らませて魅せることに重きを置く方法だ。
それと平行して、シュルレアリスム、超現実主義というのがある。まぁ、平行なのかどうかワカランが、1本の柱として成り立っている。前述の写実や印象は目で見たものの再現であるが、その本質をえぐり出して引き出して、内面的なものを…本来見えないところだったりする…表現する芸術だ。ただ、ここには作為的な計画性よりも、突発性、偶然性によって思わず出てしまうものを、本音、本質という向きがある。どんな偶発性をおかずにするか、それをどんな風に定義付けするか、ここにアーティストの技量というか感性が求められる。
現代美術は、これらの絵画主義枠を取り払ったもっと自由な表現だ。たとえば、写実主義のように繊細に描いた絵を、1年間テーブルクロスに使って、食い物の染みをあえて滲ませてしまうとか。普通しないようなアプローチさえも、ある空間に切り取る事さえ出来れば芸術と言いきれてしまう。
話はもどって、シュルレアリスム。この言葉が生まれた時代背景を考えると、奇をてらった発想をしようと言う遊び心とは違った、もっと刹那的な人生観が漂っている。それまでの歴史的な背景や道徳観念というものを取り去って、人間の性向・本性を表わすことへの美意識、それらをオープンにすることへの憧れがこもった活動だった。
この発想と言うのは、今や市民権を得てしまっていると言える。これほど開放的に好き勝手にモノづくりが許容され、販売されている時代はない。ネットがあって、ブログや掲示板があって、電子媒体で既に、あからさまに自己表現・潜在的な願望を吐き出している世界だ。いいかえれば、既に世界はシュルレアリスム化しているのだ。その許容範囲は、「表現の自由」「言論の自由」を楯に猥雑なものを氾濫させる結果ともなっている。
そんなわけで、「シュールな…」という現代日本語的表現は、この言葉の本質を離れたものである。sexykent的には「日本語のシュールとは、絶妙な違和感」とでもしておこう。でもこれは恒久的な違和感であって、時代によって変ってしまう先見性な発想とは一線を画す。そう、「ありえねぇ」ということが大前提なのである。同時に、単なる常識外れと言うか突拍子もないナンセンスとも違う。現実以上、ナンセンス未満というポジション。まぁ、日本人の笑いのツボって、ものまねでもコントでもこの部分だよね。
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