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余命宣告
冬ですね…冬ですよ?冬と言えば「北の国から」のsexykentです (・_・) 本日の号泣シーンは…「ほたりゅぅーっ!…いつでぼ…富良野に帰ってくるんだンぞぉーっ」(北の国から '95秘密より)

余命宣告。つまり、「あんたの命は、もって数ヶ月です」っていうアレ。そいつを、とうとう俺も受けてしまった。…という設定で、余命の過ごし方を考えてみた。

まず、その余命はいかばかりか?という設定については、まぁ、半年としておこう。で、何らかの闘病生活でその時間が潰れてしまうと言うことを抜きに、とにかく、痛くもかゆくもなく、時限爆弾のように予定日には、もはや起きてこないと言う設定。

俺はたぶん、仕事を辞めてしまう。辞めて、実家に帰るかも知れない。家族の元で死にたいとかそう言う高尚なことではなく、生きている内に身辺整理を自分で出来るからと言う理由だ。そして、親の感情を考慮してそばにいようと思う。

そして、自分の生きてきた時間を思い返して、簡単な年表を作るだろう。その年表に、アルバムだとか、卒アルなんかをリンクさせる。身内とか家族は最後まで一緒だろうから、そうではない、知人・友人に挨拶して回るかも知れない。まぁ、とりあえずは一緒に遊んだことのある友人。世話になった恩師。ずっと会ってないし、生きていても会わないだろうけど、挨拶しようかなとか思うのだ。

でも、面倒なことだと思い直す。きっと、ずっと会ってないと言うことは、懐かしいかも知れないが、その人の人生に俺はかかわっていないわけで、これからも関わらないだろうから、俺が死んでしまってもそんな影響はない人たちなんだ。だから、挨拶回りなんて、割愛してしまうだろう。

そうなると、リアルタイムで付き合いのあった連中にはキチンと挨拶をしようと思う。たぶん、それは冠婚葬祭に呼んだり呼ばれたりするぐらいのポジションの輩だ。それまでしたことのない、握手なんかを交わすかも知れない。おそらく、携帯に入っているメモリーの範囲での人脈だ。

さて、そうなると、どんな挨拶をしたらいいものか。改まって言っても、軽く言っても、滅相なことを言い出すバカとしか思われないだろう。まぁ、最悪それでもイイ。笑って、しんみりしないで、軽く流してもらえれば、それでもイイ。でも、握手ぐらいする。いつもと違うから、それが本当のことだって気付くかも知れない。でも、俺の人生を変えることは出来ないから、どうしていいか判らずに別れを告げる。きっと、もう二度と逢えないなんて思っちゃいない。またね、ぐらいの感覚なんだ。

俺が好きだった昔のヲンナもその中にいるかもしれない。昔のヲンナは、今は幸せな家庭を持っているだろうから、そんな挨拶をされることも迷惑かも知れない。引きずっている思いなどはないハズだし、もう違う人生の中で生きていて、生きていても二人の新しい想い出を作れるはずのない立場だけれど、少し思い出して、飲み込んで、鍵をかけて、忘れるんだろう。だから好きになったんだ。

何故か俺は刹那的になったりしない。生きられないことに腹を立てて当たり散らしたりしない。毎日を噛みしめるように、朝普通に起きて、昼飯を心待ちにして、雑談を交えた夕飯をとり、風呂に入ってまた寝る。病院に缶詰めになるのは望まないし、闘病で寝たきりなるのももったいないから、出来るだけ普通に暮らす。

仕事を辞めたから、時間がある。旅行に行ってもイイ。今まで行ったところでも、行きたくて行ったコトがないところでも。新しい想い出を作ることは悲しい。それでも、写真を撮り、ビデオを撮ってしまう。出来れば、それに俺は映らないで、カメラマンに徹する。俺が映っていると、悲しくなる人がいるはずだから。俺が残すのはツマラナイものだ。そのうち、いないということにも慣れてしまって、顔も声も思い出さなくなる。過去に亡くなった知人に対して、俺自身がそうだったからね。だけど、俺が観た風景は残っているだろうから、それを撮影するんだ。俺が観ていたのは、こういう景色だったんだねって、そんな話題ができるネタを残すんだよ。

ラストスパートの人生の残りの数日には、もう一度会社を訪ねてみる。関係者以外立ち入り禁止のはずだけど、一日ボランティア的に仕事を手伝う。面倒くさくて嫌だったことも、とても愛おしくなる。そんな普段の生活が出来ることが生きている幸せなんだと実感しながら、カウントダウンを始める。

俺のDNAを残したいという奇特なヲンナがいたら、いつの間にか存在しなくなる悲しみを背負わせることに苦悩を感じるだろう。生きている間に子孫を残すことは、脈々と続いた人類の営みであり、命が短かろうが長かろうが変わらない摂理だからだ。そして、死ぬと分かっている俺と結婚し、授かった命を報告するヲンナに対してすまない気持ちで一杯になる。だから、死にたくないなんてことを本気で訴えるんだ。

でも、もしかしたら宣告されたことを俺は隠して生きていくかも知れない。一人の死を選びながら、最後までいつものように生きていたいと願うかも知れない。

よく考えれば、人は生まれながらにして余命宣告を受けているようなものだ。長生きして100年としても、必ず死は訪れる。怖くはないけれど、悲しい。死ぬために生まれてくる人生なんて、理解できないから…

…そんな妄想を繰り広げると、やっぱり涙が出る。だけどすごく優しくなったりする。
この記事に対するコメント
>Ryoさん
そういえば余命宣告をされてるんでしたよね。
あまりに普通で忘れてた…m(_ _)m
例えば、その寿命に二倍、三倍生きれるとして
出来なかったこと、し足りなかったことが
可能になるかも知れないけど、
それは、少しだけ幸せが多いだけだと思うンです。
ほとんどの人が、濃度の薄い人生をしているんだから、
例えソレが短いとしても、極端に不幸せでもない。
だけど、やっぱり勿体ない。
折角生まれてきた意味を知らないとね。
【2007/12/12 23:32】 URL | sexykent #-

こんばんは。
実際に、余命宣告を受けると、「そうか、時間って限りがあるんだな」って実感しますよね。
同じ時間過ごすなら、どんなであっても、笑って、いろんなもの大切にしたいなって思う。
kentさんの最後の一文、すごくわかる気がする。
【2007/12/12 21:07】 URL | Ryo #uGtSWrsk


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