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Author:sexykent
オイルショック+ベビーブーム世代の元デザイナー。芸術や音楽に早くから目覚めたが、才能を伸ばすほど追求せず。いいかげん我とアートの関係を問いただしたくなった矢先、一切のデザイン生命を絶ちきる。そして今、仕事と生き甲斐をリセットして歩んでいる。最近はNike + iPod Sport Kit を利用して体力作りナンゾを画策中。
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| 捨てる記録と忘れる記憶 |
今週は面倒でやっかいなことに時間がとられる作業を期待されているsexykentです (・_・) 分かっちゃいるけれど、尻に火がつかないとやりませんから。区切りと節目をそうやって感じて生きているんです。モンクアッカ?
さて、ここんところ手を付けているお部屋のお片づけ作業…。終わると思っていたが、そうでもなさそうだ。これは暫く続く課題になるということが判明した。とりあえず、領収書だの請求書だの、後生大事にしまっておいた個人情報グッズは、今朝の燃えないゴミにだした。途中でシュレッダーは諦めた。膨大過ぎる… (*´Д`)=з
で、次に手を付けたのは、引き出しの中だ。ココには、文房具やら、契約書だとか、貰った写真だとか手紙だとかがぎっしり詰め込まれている。俺は、そういう類いのものを「入れておく」という作業だけで満足してきた。いや、実際はソコを開けて整理すると言う作業を億劫に感じていたのだ。時間がかかるのが目に見えているし、取捨選択を悩むに決まっているからだ。こんな時間のない時にやるものでもないだろうし…
だが、手を付けてしまった… (´∀`)
とりあえず、文房具。だが、これは数年前に一度整理した記憶があるぞ。だからそんなにいじる必要は… 大あり ( ̄〇 ̄;)
色ペンだとか、シャーペンだとか、ボールペンがある。まず、明らかに「インク切れ」「インク固まり」で使えないものを捨てる。しかし、そうすると「まだ使える」ものが結構あることに気付く。だが、ここは、心を鬼にしよう。物持ちがいいのも考えものだ。使えるから取って置いたらキリがないのだ。だから、溜まっているのだ。
そんなわけで、色ペン。取りあえずインクが出るのだが、明らかに色ペンとして使い道のない「グレー」「茶色」だ。取っておいても仕方がない…。ボールペンは、企業名入りなんかがあるぞ。買わないでもらったものがたくさんだ。捨てちまおう。そして、分度器…。角度を測るという事が今後あるのだろうか?きっと必要になったら買えばいいのだから、捨ててしまえ。コンパス…、おい、コレって小学校時代から使ってる?いや、確か大学の課題制作で円を描くために買ったのだ。Macで描く時代にいらないだろう…でも取っておくか(爆)。鉛筆削り…鉛筆ないよな?色鉛筆のために一応保管するか。…ってなわけで、かなり俺的には心を鬼にしたつもりで捨てた。
そして、次の引き出しだ。ここには、手紙だとか写真だとかが混在している。もともと、手紙用の引き出しと写真用の引き出しを分けていたつもりだったが、もはや渾然一体としている。
世の中、写真がダイスキだ。俺も嫌いではない。が、スナップ写真とか、集合写真に多少のドラマを凝縮できたとしても、もはやプリントする必要はないんじゃないのか?だから、頼むからデータで頂戴。デジカメで撮ってるんだからさ。かさばって仕方ないし、保存にも場所を取る。そのうち全部スキャンしてデジタル化したいくらいだ。
そして、もっと困るのが自分で撮影した写真のネガだ。APSのもあったりする。写真なんて、大量生産するのはごく希だ。それに、サービス版をプリントしたらネガはもはやいらないんじゃないかと思ったりする。でも、それは「何かの時」のために取っておいたわけで。でも、その「何かの時」は到来することは、今まで一度もなかった。そもそも、カメラ屋さんもデジタルに移行しちゃって、写るんですとかの現像も激減している時代だ。PhotoCDも使っていたけれど、廃れちまって久しい。でもまぁ、なんとなく捨てられない。これは今後の課題にしよう。それに、もはやネガは増えることはあるまい。
そして、一番怖いのが手紙だ。今やメールで済ませてしまっているのだが、ニッポンの文化である年賀状を俺に送ってくれたりだとか、「私たち結婚しました」なんてのがある。そうやって繋がっている友人がいることさえ、俺は普段の生活で忘れてしまっている。それに、数年前、しかもトーキョーシチーに越してきた当時からの蓄積だ。何と俺はその時から引っ越してはいないから、俺に連絡を取ろうと思えば、その友人たちは以前と同じ住所に手紙を出せば済む。しかし、俺はその友人たちに連絡を取っていない。つまり、お返事を書いたりしていないわけで、すると、その人達からもやがて忘れられ、引っ越しましたなんていう連絡もなくなる。結果的に、コッチから連絡を取る方法はなくなる。
結局、リアルタイムで付き合いがあるから、メールでやり取りしているわけであり、手紙の付き合いは疎遠であることを意味するのかも知れない。まぁ、現代の事情と言うか。そもそも、何かの折りに知りあったであろうと思われる人からのハガキを見て、名前を見て…
コレ誰だっけ?
と言うのが結構ある。多分、自分を広くしようと躍起になって、駆け込みとか人脈をつかもうとしていた頃の名残なのだ。だけど、実際は繋がりも太いパイプも無く、お互いに忘れてしまっているんだ。学生時代の友人だったり、同じ職場にいたはずの人でも、過去の人になっている。まぁ、こういう手紙は完全に捨てちまっても構わないだろう。
まぁ、心のこもったものだとか捨てずらい手紙もあるわ。昔の女から貰った手紙はどうするんだ?もはや連絡を取ることもなく、変わってしまったであろう住所からの手紙と甘い言葉と手書きの文字。取っておいても何のプラスにもならないわけで。そこに甘酸っぱさも感じないほど時は過ぎており。読み返すこともないワケで。捨てていいよね?だが、その昔の女が死んだら、きっと生きていた時の文字を読んでみたくなるかもしれない。俺にだけ語りかけていた文字は本物に生きていたわけだから。
まぁ、そういうことを考えても、親兄弟の手紙は捨てちゃまずいような気がする。捨てたいけど。会わない時に遠くから書いた手紙は、結局その人が死んでからでも、「何処かで生きている」という思い込みを抱かせる。
つまり、手紙を捨てるということは、俺に取ってその人が「死んだも同然」というか、今後の付き合いはないであろうという判断だ。きっと、その人が死んでも、驚くかも知れないが、やたら悲しまないと思う。
そんな取捨選択をしていたら、どんどん手紙を破いてごみ箱に入れていた。残った手紙はごく僅かだ。死んでも悲しまない人が多いって事なのか?悲しむほど親しい友人がいないって事なのか?いつも一人で生きている気がして数年経ったが、気がつけばものすごく孤独なのかも知れない。いや、知りあうということに、人生を賭けていないのかもしれない。深過ぎる関係に伴う、別れという悲しみや、憎しみや、嫉みや諸々の面倒くささを回避したいという、自己防衛をして生きてきた結果なのだ。
そんな燃えるゴミの山は、殆どが「再生紙配合」を謳っている。読み返せば思い出せる材料を、俺は捨てることにした。どうせ、思ったよりも想い出の配合率も低いんだ。
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