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Author:sexykent
オイルショック+ベビーブーム世代の元デザイナー。芸術や音楽に早くから目覚めたが、才能を伸ばすほど追求せず。いいかげん我とアートの関係を問いただしたくなった矢先、一切のデザイン生命を絶ちきる。そして今、仕事と生き甲斐をリセットして歩んでいる。最近はNike + iPod Sport Kit を利用して体力作りナンゾを画策中。
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| シュルレアリスム |
めっちゃ寒くなった日曜の夕方…お部屋の片付けをどうしようか悩んだ末にまだ放置状態のsexykentです (・_・) うううぅ(*´Д`)=з
日本語でたまに「おっシュールだね」とか言うけど、おしゃれでキザで斜に構えた感じが漂う。それもそうで、日本人が使う場合「極端だけど言い得てる」的なアーティスティックな皮肉な様子を指す場合が多い。極端すぎない非現実というか、外れこそストライクみたいな。まぁ、日本人の一部が好むおしゃれ感覚を、芸術と混同視させる便利な言葉だと思う。何故こんな風なジャンルを取り立てているかって、そこに誤解があるからだ。
シュール=シュールレアリズム=シュール+リアリズム
という勝手な解釈によって、現実をシュールに見る、いわゆるシュール、という発想だ。しかし、そもそもは英語じゃないので、こんな図式は成り立たない。本来はフランス語で、シュルレイユ(超現実)、それに「〜派」みたいな意味合いのイズムということだ。
これは芸術作品の分類によるもので、例えば他に、写実主義とか印象派などの絵画がある。まぁ、日本語の字のごとく、写実主義はいわゆるリアリズムで、情景をいかに美しくリアルに再現するかという方向性を持つ芸術で、印象派は形や光や色といった、目から入る情報を増幅し、誇張し、イメージを膨らませて魅せることに重きを置く方法だ。
それと平行して、シュルレアリスム、超現実主義というのがある。まぁ、平行なのかどうかワカランが、1本の柱として成り立っている。前述の写実や印象は目で見たものの再現であるが、その本質をえぐり出して引き出して、内面的なものを…本来見えないところだったりする…表現する芸術だ。ただ、ここには作為的な計画性よりも、突発性、偶然性によって思わず出てしまうものを、本音、本質という向きがある。どんな偶発性をおかずにするか、それをどんな風に定義付けするか、ここにアーティストの技量というか感性が求められる。
現代美術は、これらの絵画主義枠を取り払ったもっと自由な表現だ。たとえば、写実主義のように繊細に描いた絵を、1年間テーブルクロスに使って、食い物の染みをあえて滲ませてしまうとか。普通しないようなアプローチさえも、ある空間に切り取る事さえ出来れば芸術と言いきれてしまう。
話はもどって、シュルレアリスム。この言葉が生まれた時代背景を考えると、奇をてらった発想をしようと言う遊び心とは違った、もっと刹那的な人生観が漂っている。それまでの歴史的な背景や道徳観念というものを取り去って、人間の性向・本性を表わすことへの美意識、それらをオープンにすることへの憧れがこもった活動だった。
この発想と言うのは、今や市民権を得てしまっていると言える。これほど開放的に好き勝手にモノづくりが許容され、販売されている時代はない。ネットがあって、ブログや掲示板があって、電子媒体で既に、あからさまに自己表現・潜在的な願望を吐き出している世界だ。いいかえれば、既に世界はシュルレアリスム化しているのだ。その許容範囲は、「表現の自由」「言論の自由」を楯に猥雑なものを氾濫させる結果ともなっている。
そんなわけで、「シュールな…」という現代日本語的表現は、この言葉の本質を離れたものである。sexykent的には「日本語のシュールとは、絶妙な違和感」とでもしておこう。でもこれは恒久的な違和感であって、時代によって変ってしまう先見性な発想とは一線を画す。そう、「ありえねぇ」ということが大前提なのである。同時に、単なる常識外れと言うか突拍子もないナンセンスとも違う。現実以上、ナンセンス未満というポジション。まぁ、日本人の笑いのツボって、ものまねでもコントでもこの部分だよね。
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